教育者は清く正しく

京都の塾講師による児童殺害について、「犯歴者なぜ教育の場に」という大きな活字を見て考えた。
学校教員の場合、禁固以上の刑を受けたかどうかが犯歴の基準になる。刑罰を受けたことがあったとしても、禁固に満たない刑であれば、不適格とはみなされない。実際の採用の場面で過去の経歴がどう判断されるかは別として、教育や環境による人格の更正が可能だという立場からは、すで更正した人を過去の行動によって不適格と決めつけることはできない。今回の容疑者は、過去に強盗致傷で逮捕されているが執行猶予だということなので、今回の事件を起こさなければ教育の場にいつづけることに問題はなかったと思われる。たった一件の事件によって、更正した他の大多数を同類と見なすべきではない。
一方、犯歴がある者には教育をまかせられないというのも一つの見識である。犯歴者のうち、多数は更正不可能だと思われる。更正が不可能であれば、教育の場に立たせないなど甘っちょろい。無罪でなければ極刑とすれば幸せになれるであろう。自転車の二人乗りも空地への不法侵入も無罪ではないから極刑である。ああ、素晴らしきイノセントな世界。
僕はそこまでしてもいいと思う。極刑に処される側の人間だが。しかしもしそこまでする覚悟がないなら、犯歴の有無によって人を差別すべきだなどと言ってはいけない
まあ、適度であいまいな線があればいいのだ。禁固というのはいい線だと思う。聖人と禁固の間が田沼の濁りゾーン。