歴史観に沿わずに歴史が語れるか

 靖国神社の博物館「遊就館」に小中学生を連れて行く歴史探索ツアーを東京都町田市の町田青年会議所(JC)が企画し、同市教育委員会が後援していることがわかった。同館は明治以降の戦争を「自存自衛のため避け得なかった戦争」と位置づけ、「殉国の英霊を慰霊顕彰する」ために兵器や兵士の遺品を展示している。都教職員組合町田支部は「特定の歴史観にお墨付きを与えることになる」として12日、市教委に後援の撤回を申し入れた。
(朝日新聞 7月13日 http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY200507120455.html)

「特定の歴史観にお墨付きを与えることになる」って、そういう理由でいいのか。
特定の歴史観に沿わない歴史解説などない。
上の理屈で考えると、特定の歴史観にお墨付きを与えることになるので教育委員会や学校や教師がテキストを選ぶべきではないし、特定の歴史観にお墨付きを与えることになるので教師は歴史を解説すべきではない。
生徒は自分で見つけてきた史料や歴史本で歴史を知ればよい。教師は解説せずにただ見守っていればよい。生徒の歴史観に対して、教師は肯定も否定もしてはいけません。
なお、歴史観が一様であるべきか多様であるべきかについても、異論があるので一方にお墨付きを与えてはいけません。

同市教委教育総務課は今回の後援について「ツアーが基準に反しているとは言い切れない。JCの事業は何度も後援しているので、すんなり承認された。遊就館靖国神社の施設とは知らなかった」と説明している。
(同)

そして生徒に回答を迫られて困ったらこのように答えればよいという例。馬鹿と思われるが我慢する。学級崩壊すると思われるが我慢する。