TO END ALL WARS

エンド オブ オール ウォーズ [DVD]
1942年なのに「カミカゼ」を語る英兵、定番の勘違い「武士道」日本兵、変な行動の日本軍将校など、前半はハズレ映画かと思ったが、主人公が学校を始めてからストーリーがまわりはじめる。
「生き残るには逃げ出すより道はないと、賛同者を集め密かに脱走を計画するキャンベル少佐」「第2次大戦で日本軍の捕虜となった、スコットランド軍人たちの苦境からの奮闘」「彼らはそれぞれ生きるための行動に出るが・・・。」なんて解説を読んでから見たが、全然違う。ストーリー解説ではここ(http://www.at-e.co.jp/details/atvc060.html)のが妥当。
公然と抵抗して殺されるマクリーン、脱走の先に生存はないと知りながら事をおこすキャンベル、処刑されようとするキャンベルのかわりに犠牲となるダスティ、それぞれ生きるための行動になど出ていない。それは生命を投げうつ行動だ。生きようとする者たちは、奮闘ではなく日本人に従うことを選ぶ。
主人公たちの作った「大学」で語られる哲学が、彼らと日本兵の死と正義の意味を考えさせる。
There's the respect that makes calamity of so long a life; for who would bear the whips and scorns of time, the oppressor's wrong, the proud man's contumely, the pangs of dispriz'd love, the law's delay, the insolence of office, and the spurns that patient merit of the unworthy takes, when he himself might his quietus make with a bare bodkin?
シェークスピアの「ハムレット」によって生きる意味が語られる。死とは夢のない眠り。生きる意味は夢にある。だが、ここで考えるべきは生きる意味よりもその次の部分。
《権力者の不正、高慢な者の蔑み、威張りちらす役人、人はなぜ不当な侮辱にも耐えるのか。》
これらは、英軍捕虜が思う日本兵の不正であると同時に、日本兵が思う欧米列強の不正だ。
続けて語られるのはプラトンの「国家」。
《この世界に正しい人間が現れたらどうなるか。その人は厳しく鞭打たれ拷問されつながれる。あらゆる苦難を味わった後十字架にかけられ人前にさらされる。》
これにキャンベルは激しく反発し、抵抗するのが正義だと言う。
映画にはないが、国家に書かれているのは、完全に不正な人は正義であると見られるように行動するとし、その対極にある人を正しい人と考えた場合に、正しい人が正義と見られるように行動せず不正と見なされる結果、正しい人が最も憎まれるということだ。この考えを肯定すると、一般的な戦争映画では正義であるはずのキャンベルの行動が、実は不正な行動だということになる。その直後、キャンベルはあからさまに不正な、仲間を売るという行動にでる。それに並行して、悪虐だった日本兵人間性を見せはじめる。
語られているのは正義が必ずしも正しい行動ではないということ。人を救うのは正義ではなく慈悲と寛容だということ。それが、全ての戦争を終わらせるために必要なこと。
日本が降伏し収容所が米軍によって解放された時、キャンベルは伊藤軍曹を殺そうとして殺せず、伊藤が切腹すると彼を抱いて泣く。キャンベルと伊藤はともに自己の正義を信じた同種の人間なのだ。日本兵の描き方に不満はあるが、一部で言われているように日本兵の残虐さと捕虜の正義とを単純に描いた映画ではない。
ところで、日本語タイトルはなぜか「エンド・オブ・オール・ウォーズ」。変える意味がちっともわからん。