ラリったら罪一等減なのですね

巷で話題のホームレス3人殺人事件の判決、今日になって新聞の投書欄で知った。覚醒剤を打ってたから心神耗弱で減刑だというので、きっとネットのネタにのせられたんだろうと思ったが、事実らしい。

 ホームレスとして生活していた東京都江戸川区の荒川河川敷で99年、同じホームレスの顔見知りの男性3人を相次いで刺殺し、遺体を荒川に捨てたとして殺人と死体遺棄などの罪に問われた安藤義雄被告(59)の控訴審判決が27日、東京高裁であった。須田賢裁判長は一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。一審が認めた完全責任能力を否定し、3人を殺害した当時、心神耗弱状態だったと判断した。
 争点は、犯行前に覚せい剤を使用した被告の精神状態だった。
 被告の「殺害を指示する幻聴があった」との供述について、高裁は「自己に都合のいいように内容を誇張させているだけとはいえない」と指摘。被告の精神状態が正常でなかったとする鑑定を重視し、心神耗弱だったと結論づけた。殺害後の死体遺棄については、完全責任能力を認めた。
(朝日新聞 6月27日 http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200606270546.html)

 須田賢裁判長は「残虐な犯行で、本来なら死刑を選択せざるを得ないが、犯行当時は覚せい剤の大量使用で心神耗弱状態にあった」と述べ、1審・東京地裁判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。
 判決によると、安藤被告は99年9月、ホームレス仲間の男性3人を次々とナイフで刺殺し、遺体を荒川に投げ入れるなどした。
(読売新聞 6月27日 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060627ic28.htm)

覚醒剤や麻薬でラリってから人を殺せば死刑にならずにすむということだ。感情のままに3人殺しても。
この裁判官がバカだと言われているが、そもそも心神耗弱とか反省の姿勢とかが減刑の材料になる感覚がどうしても理解できない。精神と刑罰とがなんでリンクするのか。神以外に知るよしもない精神状態を人間がテキトーに決定して刑罰を左右することがバカなことだと定義すれば、法曹界は歴史的にバカだらけなのであって、今回の裁判官だけを責めるのはかわいそうである。
例えば罪を犯さざるをえない状況に追い込まれたならば、その状況は情状酌量の材料にしてもいいと思う。だが、罪を犯した人間の精神状態そのものを罰を決める際に考慮する必要はない。罪を犯さなければならないという気持ちにさせた何かが罰に影響するというのは合理的だが、その何かがクスリだというのはバカバカしいにもほどがあるし、罪をおかしているのかどうかがわからないという精神状態で犯した罪を減刑するというのはどう合理的なのか全然わからない。たぶん何万年考えても理解できない。
反省の姿勢にしても、大多数の人間は感情の表現をコントロールできる、つまり反省していなくても反省しているようにふるまえるのだから、反省していないようにふるまう人間と反省しているようにふるまう人間との間で更正の度合に違いを見いだせる者は、神でなければバカ。