ゆとり教育

うちの子は小4の割り算でつまづいた。その原因の一つは引き算の筆算で変な計算方法を学習してしまったからだと思われる。引き算の筆算では、繰り下がりの時は必ず10と書いて計算しなければ先生に叱られるという。いちいち10と書くから、筆算の上が10だらけで、どの数字が使うべき数字なのか、横で見ていてもよくわからない。また、2桁以上の割り算では、必ず概数にしてから計算しなければ叱られると言う。25÷14だと、まず30÷10にするらしい。それで、仮の商を3として、42と書いたところで次に進む。14を10にしたのだから、25はそのままか20にすべきだろうと指摘すると、それでは叱られると言う。わけがわからない。
それでいて、応用問題を式にすることはできる。文章題から複雑な式は書けるし、解と式から元の問題に戻すこともできる。しかし、計算はろくにできない。
ゆとり教育の悪い部分をもろに体現している感じ。
よく、能力開発には4つの段階があると言われる。今日も会社で能力開発についてのミーティングがあったので、思いついて書いている。そのあたりの知識を自分なりにまとめるとこんな感じだ。

学習者の状態指導方法未知の課題への不安自由な発想の能力
Step1解決力なし教えた通りにやらせる強い低い
Step2自信新しい課題を与える弱い低い
Step3頭打ち/挫折克服のための支援強い高い
Step4自己解決力動機づけ弱い高い

ゆとり教育の問題点は、多くの教師がこの中のStep3をすっとばしてStep4を実現させようとしていることにあるのではないかと思う。
例えば大量の割り算の問題をこなし、、その中でより早く計算するために計算の方法を変化させれば、よほど能力が高くない限りは、その変化によってStep1からStep3の間を行き来することになり、その後にStep4に到達できる。この時、指導者が1つの作業方法だけしか許さないなら、Step3の克服を経験することはできない。Step3は自由な発想、創意工夫がうまくいかなかった結果の挫折である。教師の指導通りにしか作業を進めないのならば、そのような壁にぶつかることなく、Step4に到達したと錯覚してそれ以上の努力をやめてしまう。それは実際にはStep2にとどまっているということだ。
過去に学習した方法で解ける問題しか与えない場合、学習者がStep2なのかStep4なのかを見分けることはきわめて難しいと思う。学習者に話を聞いても、いずれも問題解決に自信を持っている。学校の場合、習ったやり方だけでは解けない(経験を組み合わせなければできない)問題を与えてみれば簡単にわかると思うのだが、うちの子の教科書を見る限り、習ったやり方だけで解けるシンプルな問題しか載っていない。
過去の「詰め込み教育」の問題は、Step2で終ってしまうことだった。習うことで能力がのびる段階。学習者にも指導者にも充実感がある。それをStep3に進めてしまうと指導が面倒くさくてたまらない。加えて、Step3は指導を拒否する傾向にあるし、Step4は教師を必要と思わない傾向がある。現実問題、短期的なテストの点だけを考えれば、Step2にとどめるのが最も効率的だ。それを問題視した結果がゆとり教育。なのに、現場はゆとりを失って、思考の幅を制限することによって授業時間を短縮し、浮いた時間で「教師の指導通りの自由な発想」を学習させてよしとしているように見える。
僕は、基礎学習ばかりにこだわるのは好きじゃない。しかし、基礎ができていない子供に応用問題ができているように錯覚させる教え方は嫌いだ。